【エッセイ】アル中の、五十嵐先生。
僕の父は高校卒業後、富山県から上京し、
某音楽大学に入った。
若かりしころトランペッターとして生きた父は、
彼が36歳の時に、
僕、真翔が生まれるころには別の仕事をしていた。
父はトランペッターを唇の怪我で辞め、
医療機器メーカーに勤めたあとは、
独立し、理容美容鋏の開発会社を設立し、
自分で開発した鋏で、
特許まで取った超絶理系の父親だ。
僕の明るい部分や、正義感、思いやり、キャプテンシーがあるとしたら、それは全て母譲りだが、
僕の集中力や、物事の捉え方として理系な脳、
クリエイティビティ、
そして書けばついやたら多くなってしまう語彙数、
独特な音の共感覚、躁鬱、酒が死ぬほど大好きなところなどは全て、
紛れもなく父の遺伝子なのだ。
そんな、僕の父親については、
また今度ゆっくりエッセイに綴りたいと思っている。
どうしてもウマの合わない父とは、
もう長いこと会っていないしどう暮らしているのかも知らないが、
僕のように自由に彼なりに楽しく生きていることだろう。
彼は奔放だけど、『本物の天才』なのだ。
そんな父の影響で、
僕はトランペットを2歳ぐらいから吹き始めた。
小学校のブラスバンドでは目立たせてもらったし、
都の主催するオーケストラに参加したり、
五年生の頃にはなんと選抜され、
サントリーホールでオーケストラをバックに、
ソロ演奏までさせてもらった。
あくまでも僕は天才なのだと信じていた。
以前にも書いたが、お受験にインフルで失敗した僕は練馬区の公立の中学に入学し、
寸分の迷いもなく、
当たり前のように、吹奏楽部へと入部した。
ただし、コンクールでは、銅賞や、奨励賞以外取ったことのない弱小吹奏楽部だ。
『合奏』の面白いところは、
誰か一人上手くてもダメだし、指揮者や指導者によってすべてが崩壊する。
最初の顧問の女の通称『キム』先生は、ヒステリックで、
怒ったアマガエルみたいな顔をしていて、
かなり不人気な先生だった。
僕という天才は特に役に立たぬまま、
相変わらず弱小チームは銅賞を取り続け、
2年間を過ごした。
2年生の終わりには、当たり前のように3年生も引退したので、
僕たちはリーダーとなった。
そのタイミングで、なんと、
顧問の先生が変わることが発表された。
キム先生が僕たちに紹介したのは、
歯が真っ黒で、青髭で、小汚い、腹の出た、
ロレツの回らないおっさんだった。
3年生になって自分たちがリーダーになれば銅賞でなく、銀賞が取れる。
と信じていた僕は、
『終わった・・・』
と、ただそう思った。
そのおっさんこそが、
そう、タイトルにある『五十嵐先生』なのだ。
『ずっと体調が悪く長年おやすみされていたのですが、
復帰されることとなったので、今日から顧問は、五十嵐先生になります。』
とキム先生は僕たちに告げ、ルンルンで去っていった。
キム先生のいない部室で、
呂律の回らない挨拶をした五十嵐先生は、
その場にいる中学生たちに、
『こいつ絶対アル中で休んでたな』
と思わせる不潔な才能を持っていた。
そこから僕と、
五十嵐先生の4ヶ月間が始まったのである。
早速女子生徒たちは、五十嵐先生との会話を拒否し始めた。
実際に臭いわけではないけれど、見るからに臭そうなのである。
部活の時間も、五十嵐先生なりに熱弁を振るうが、
呂律が回らないため、何を喋ってるかよくわからない。
すぐに五十嵐先生は、空気のような存在になった。
ただし僕だけは、なんとなく、
『父と言っていることが似てるな』と思って、
五十嵐先生に、興味を持っていた。
この人から何か学べるかもしれない。と、中学生ながらに思ったのである。
ある日の放課後、僕はなぜか五十嵐先生と話がしたくなって、音楽室に行った。
フケだらけのベージュのニットを着ていて、
相変わらず臭そうだが、
僕が音楽室を訪ねたことに、
とても嬉しそうにニヤケた。
僕は好奇心で、
『先生はなんで休んでたの?』
とか、
『どんな音楽をやってたの?』
とか、いろんなことを聞いた。
滑舌が悪くてよくわかんないところもあったけど、
楽しそうに答えてくれた。
この人、いい人じゃん、って思った。
人は見かけではない、と思うようになった。
そこから、なんとなく、先生を訪ねては、二人で喋るようになった。
僕の音楽のことなどを、なんの感情もなく、
ただ、ただ、先生に、話した。
いつでも先生は、臭そうだけど、ニコニコ、聞いて、答えてくれた。
部活では誰も話を聞かないけれど、
僕は先生の理解者だったし、
先生も、僕の理解者だった。
そんな毎日の中、僕たちは、
来年のコンクールに向けて、僕たちの中学史上初の銀賞を取るために、
練習に励んだ。
先生の授業の呂律は回らないから、
ほぼ自主的に。
そして、時が過ぎ、
忘れもしない、
3年生となった、5月ぐらいのこと。
朝、登校すると、
全員体育館に集められた。
今日は全校集会の日じゃないよな?
と思いながら、みんな集められた。
ざわつく中、校長が現れた。
『五十嵐先生が、亡くなられました。』
と、校長が言った。
理由は、言わなかった。
戸惑いもしない多数の生徒の中には、
クスクス笑う生徒もたくさんいた。
異様な空気感の中、
頭が真っ白になったのは、きっと僕だけだ。
真っ白のまま、教室に戻らされて。
細かい説明もないまま、
そのまま淡々と社会科の授業があった。
涙が止まらなくなった。
人生で初めて、心を許したような人が、いなくなったことが、理解できなかった。
とにかく、涙が止まらなかった。
クラスの誰一人泣いてる人なんていない中、
僕だけ、授業中、声を殺して泣いた。
僕の世界だけ止まって、
周りは当たり前に時が流れていく。
それが悔しかった。
社会科の先生が、僕にハンカチを差し出し、
保健室へと連れていった。
その日は帰った。
僕は、先生がいなくなったことよりも、
先生が死んだことを笑う人間と一緒にこれから学校生活を共にすることを絶望した。
それでも、割り切らなければいけない。
前に進む中で、僕は、五十嵐先生の突然の死により、強くなったのである。
その年のコンクールは生徒だけで臨むこととなった。
『五十嵐先生、天国から見てください』
なんて思った生徒がどれだけそこにいたかはしらないけど、
僕は、確実にそう思いながらコンクールで、トランペットを吹いた。
そして、
僕たちは、我が校初の、銀賞を受賞した。
あの時もらった銀賞は、今でも励みとなっている。
五十嵐先生、僕は大人になって、
ミュージシャンになり、
沢山の生徒たちと一緒に、
今、幸せに過ごしてますよ。
先生が、音楽を教えたい、と思って頑張って教師になったって語ってたように、
僕は音楽を教えています。
『五十嵐先生、天国から見ててください。』
と今もたまに、思い出す。
そっちではちゃんと歯を磨いてね。
鳥山真翔
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