【エッセイ】セックスのもと。
僕が『セックス』という言葉やその意味を知ったのは、かなり早かった。
小学校低学年の頃には、知っていた。
子供の頃から、疑問に思ったことは解決するまでずっと気になってしまう。
しかも見つけた答えが物理的なものでないと満足できないのは、
今も続いている、生まれ持った性分なのである。
サンタクロースがどこからか飛んできて、
煙突から入って、
全国の子供達にプレゼントをばら撒いているなんて虚構は、
一つ想像すれば不可能であることなんて秒でわかるのに、
サンタクロースの存在を、小学校中学年になっても信じているような人がいることの方が、
当時の僕にとっては信じられないことだった。
また、たとえば、
どうやって子供が生まれるのか、
という大人がはぐらかし続けるテーマにも、
少年鳥山は、果敢だった。
男女が好意を持ち合えば子供が生まれる、
までは、はぐらかしきれない部分なので、
子供にも大人は伝えてくれる。
問題は『物理的にどう』人間が製造されるか、
を大人が僕に説明できるかだ。
コウノトリが運んでくるは却下。
愛のバルーンでお腹が膨らむも却下。
大人はすぐ『大人にしかわからない領域』を作りたがる。
しかし人が誕生するという神秘的なことに対して、
子供に虚構をつくることが僕にはどうしても納得できなかったのだ。
嘘をつく時大人は必ず目をそらす。
声が震える。
僕はそんな違和感に敏感な子供だった。
小学校低学年の僕にでも、
できる限りの手を使い、
子供がどのように作られ、生まれてくるのか、
調べ尽くした。
お父さんがお母さんの中に入っていくという事実を初めて知った時には、絶望した。
なんだかとてつもなく具合が悪くなったのを覚えている。
ああ、どうか、
僕のお父さんとお母さんだけはそうでありませんように。
僕だけは神さまに孕まされた子なのだ、と、言い聞かせるようになった。
と、同時に、『大人にしかわからない領域』の大切さを知った。
想像を超えたことを受け入れるには、
受け入れることのできる経験や覚悟が必要だということも、少年鳥山は、学んだのである。
残念ながら、僕は神様の子供ではなく、
僕の父と僕の母によって、
手順通り、しっかり作っていただいた人間であった。
そこから、運動会や授業参観などで沢山のお父さんとお母さんがくるたびに、
セックスを想像した。
みんな紛れもなく、結ばれているのだ。
想像するたびに、なんだか、嫌な気分になった。
◯◯君のお父さんはすごいイケメンなのに、
こんな太った年上のお母さんなのはなんでなんだろう。
この二人もそうゆうことをしてるのか、
いつ、どんなとこで、隠れて、コソコソしてるの?って、考えれば考えるほど、
大人がみんなみんなすごく嘘つきに見えてきて、
コソコソ卑怯な奴らに見えてきたのである。
『セックス』という言葉を知ってしまった小学生の僕は、
青い空が、排気ガスに満たされて見えないぐらい、
世界が、変わってしまった。
それから20年以上の日々が経って、
僕も、幾度となく、そのセックスを経験した。
今は、それに対する不快感も特別感もない。
今見ている空は、澄んでいて、青い。
なんで子供の頃、それが、
あんなに不愉快だったのだろう。
自分がゲイだから、『男女の営み』が生理的に受け入れられなかったとか、
色んな要因があるのかもしれない。
だけどきっとそれ以上に、
大人たちが前習えをして作る、
『建前』や『ごまかし』に、不快感があったのだと、
今は思う。
この国は、何事も本当にそうだ。
例えば
堂々と愛し合って、
堂々とイチャイチャすればいい。
アメリカなんかそうだろう。
パパとママが子供の前でキスするなんて当たり前だ。
しかしながら、
この国のお父さんとお母さんは、
子供の前で『ごまかす』のが美徳とされる文化なのだ。
日本という国は、
トラディショナルな部分がいい部分でもあるけど、
このままでは、来たる新時代に置いていかれると思う。
昭和ですら二世代前になるのだ。
30年以上も前の話だ。
2020年、東京オリンピックの時に、
沢山の外国人が来るだろう。
変えるべき価値観は、変えよう。
もちろん、
『大人にしかわからない領域』も、大切にしながら、
新時代の子供たちを信頼して、子供にしか感じることのできない感性と一緒に、
新しい概念を作っていこう。
ごまかす大人が多すぎるこの国で、
僕は自分より年下の人にも、
なにもごまかさない大人になろう。
最近、仕事をしていると、
ごまかせ、ごまかせ、と、
取引先の、古い価値観に押し付けられることも多くて、
子供のころ不快に感じた、
そんなことを、思った。
鳥山真翔
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