自分が特別な存在だと気がついた時。
『人生はジェンガではなく、パズルだ。』
と、真夜中、無意識に自分のTwitterに呟いていた。
僕の中では、ここまでの人生を振り返って、
きっと振り絞るように産み堕とした言葉なのだが、
"イイネ"がつくこともなく、
"リツイート"されることもなく、
僕にとって最大級のこの名言は、
当たり前に世間から忘却の彼方へ送られる。
子供の頃から・・・
なんとなく自分の『特別』に気がついて生きて来た。
きっとこの世間に馴染めないのは自分が『特別』だからだ。
そう言い聞かせて来た。
自分の想いを押し付けたところで、
僕はきっとどこか正しすぎる。
正しくないことも正しいのが『社会』だ。
その中でジャッジすることは愚かだ。
だからこそ、生きやすい人生を作るために、
ただ全てを腑に落とし、
出会う全ての相手の感情を理解し、
分かち合って行くことが、
あるべき姿であり、生きやすさなのだ、
となんとなく理解していた。
まるでジェンガゲームのように、
脆いピースも、不安定な瞬間も、
積み重ねて積み重ねて積み重ねて・・・
天井が『死』なのだとしても、
天井に向かって只々考えながら重ねる。
それが、今日までの僕だったんだと思う。
ジェンガが崩れても、
やり直せばいい。
ジェンガに乗せる次の木が無くなれば、
自分で探せばいい。
そんな人生を過ごして、、、
今日、きっとなんとなくまた崩れたんだ。
いつものようにもう一度、
やり直す前に、考えた。
これが、同じ積み重ねでも、
この人生が、ジェンガではなく、
パズルゲームなのだとしたら。
合わないピースは、
死んでも合わない。
そこに固執しても仕方がない。
僕たちは、この星で、『人生』という盤を与えられた。
『人生』の意味を、
僕は僕として、『完成させること』なのだと気がついた。
自分の『使命』というピースは、合わせる形で無理やり型にはめることではなく、
必ずしっくり来るはずなのだ。
阿吽で伝わる場合と伝わらない場合がある。
伝わらないことに固執する必要はない。
合わないパズルを探し続ける必要はない。
必ずこのパズルは完成する。
人生は有限だ。
僕は僕の人生というこの盤に気がついた。
特別な使命を、全うできる。
テレビをつければ、
今回の衆議院選挙では、
『リベラル』という単語が流行った。
僕はなぜリベラルになれるかというと、
僕の人生は果てのない旅ではなく、
使命同士を当てはめていく旅だからだ。
だから、ジャッジする。
だから、ジャッジしない。
ジェンガの完成は死ぬまでわからない。
パズルは、作る途中で答えに気がつく。
出会ったたくさんのピースに、
そして、、
たくさんの積み木のような日々に、感謝、感謝なのです。
わかる人、この指とまれ!な気分。
だけどそれでも裏側で、全てを愛している。
どうあれど、
目の前の愛とは関係のないところで、
僕のパズルは少しずつ繋がり始めている。
鳥山真翔