29歳になりました。
かれこれ10年以上『鳥山先生』であるが故、
昔は"若い"というだけで印象を変えられるのがめんどくさくて、あまり言わずに黙ってたのだけど、
やっと世間的には『鳥山先生』らしい年齢に近づいてきたみたいです。
9月5日で、29歳になりました。
僕は、平成元年生まれなので、
実際には平成という時代しか知りませんが、
様々な時代を生きている人にお世話になりながら生きてこられたので、
様々な時代を身体にインプットしながら生きてこられたと思います。
そんな平成という元号が今年で終わり、
僕の20代と共に終わって行くのにご縁を感じています。
去年は、、
誕生日に、『年齢という尺度の不毛さ』を書きました。
冒頭に書きましたが、僕をただその尺度だけで頭ごなしに若いと仕分けされる人を、
ずーっと不毛に思っていたのです。
そしてさらに最近は、自分が年を一つずつ取るたびに、
それを実感しているのです。
なぜなら、僕という芯は何も変わっていないから。
それを証明するかのように、、、
今僕の周りには、
何事もそんな相対的な尺度で図らず、
魂で繋がってくれる、
様々な年代の人が周りに増えてきたからなんだな、
と思います。
どんな尺度を生きていても、お互いがお互いを尊敬し合っています。
今、僕の周りの空気はとても澄んでいて、
正直、今が人生で一番幸せです。
僕は、ここまでの人生で、
何十回も、お葬式に行きました。
他の人がどうなのかはわからないけど、
たまたまかわからないけど、
"死"と触れ合う機会は、多かった方なのかもしれません。
その瞬間、に触れ合うたびに、
『人の死亡率は100パーセント』
なんだ、といつでも思っています。
100年の人生を全うする人、
若くして無念に死んでいく人、
死までの時間を与えられた人、
突然死んでいく人、
死を覚悟できた人、
死を受け入れられなかった人、
年齢という尺度は、
"死"をもって変わります。
いろんな人に触れ合いますが、
それでも必ずそれは、
全ての人に与えられるものなのです。
だから、僕は人と出会うたびに、
その人といつの日かくるお別れを、
想像します。
変な性格かもしれないですが、
僕はそう考えられるようになったことが、
とても僕を豊かに、優しくさせてくれました。
29歳の僕に何ができるだろうと、今日も考えます。
まずは僕自身が豊かであり、
その中で、僕が感じたことや、
僕が伝えられることを、
皆さんと分け与えながら、精一杯生きていくことだと思ってます。
まずはここまで『鳥山先生』として蓄えてきたものを、
出来る限り、沢山の人に、伝えていく機会をつくることが、
この1年の勝負かな。
めっちゃ頑張ります^ ^
僕はデリケートで軟弱な部分もあるので、
みなさまに甘えることも多々あると思いますが、、、
それ以上に何かを返せる人になりたいです。
今後とも、応援、サポート、よろしくお願いします!!
鳥山真翔
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