【コラム】グリル百舌。
『百舌』。
昔、小学六年生の冬。
荒川区にある某日本一頭のいい中学受験をした時、
僕は朦朧としながらこの単語を見ていた。
この学校を受けるためにだけ必死に週4回塾に行き、模試も完璧。
自分で言うのも変だが、頭のいい小学生だった。
太鼓判を押された偏差値を持って、
万全の体制で挑むつもりが、1月末からなんとインフルエンザに感染した。
知っているはずの『百舌』というものが鳥であることも、読み方すらも、朦朧とし、忘れた。
当時の、ウィダーインゼリーよりも柔らかい小学生の僕のメンタルでは、
その後滑り止めで受験した学校含め、全て落ちてしまった。
結果として近所の公立の中学に行くことになるのだが、今となっては、
僕の人生にとって、ようやくそれで良かったと思えている。
『百舌』という漢字をそれから見ることはなかったが、
ここに引っ越してきて、近所に発見してしまった、
『グリル百舌』という洋食屋に行くことが、
今、社会で戦う僕にとって、大きな癒しとなっている。
最初、28歳の僕には佇まいにおののく。
若者の入る雰囲気の佇まいではない。
しかし入って見ると、なかなか、よい。
。
僕の祖母は昔、ロサ会館の裏で洋食屋をやっていた。
今では祖母は誇りのようにそれを話す。
ここの飯は、そんな祖母の作る飯に似ている。
特にざくざくしたキャベツの千切りと、菜種油をドバッと使って揚げ物をする感じが似ている。
なにか、安心する。
店主やウェイトレスの奥さん、その息子さんは、いつも不毛な喧嘩をしている。
どう考えても、息子さん、親不孝だなって思いながら聞いているんだけど、
これが世間のスタンダードかな、と思いながら黙って眺める。
そして、喧嘩をしながらも、
店主は注文されたご飯を作り終わると、
必ずスポーツ新聞を開きながら酒を飲みに、タバコを吸いに、
客席に戻る。
その横で僕は、飯を食べる。
おすすめはカニクリームコロッケだ。
そして、必ず死ぬほど濃く作っていただくハイボールを飲みながら、溜まっていた本を読む。
本を読むことは子供の頃から好きだ。
最近では本屋に行くたびに仕事の参考になりそうな心理学や脳科学の本、
流行りに呑まれて入り口に置いてある『〇〇賞受賞』の本なども買う。
正直、最近はありがたいことに忙しくさせていただき、買ったものの読む時間がない。
そんな僕にとって、
この『グリル百舌』での時間が唯一の読書タイムだ。
僕は、酒を飲むと集中力が増すタイプだ。
勉強をするときや作品を作るときは必ず酒を飲む。
そんな時にここのお母さんが作る容赦ない酒は、ちょうどいい。
古いスピーカーから流れる音の悪いラジオ、
リッキーマーティンの曲も、
町内会が配っているような日めくりカレンダー、
十年以上洗っていないようなソースの容器も、
全部全部が、ちょうどいい。
どうして、これに癒しを感じることができるのだろう。
僕はどこでこのちょうどいい、を、生活から失ってしまったのだろう。
きっと、このちょうどいい、は、
試験中『百舌』に朦朧としていた小学生の、
命がけの僕が、
家に帰れば当たり前にあった世界を、
こんな大人になった今でも、安らぎとして脳に体にインプットされているのだと思うと、
今、頑張ることができている自分を、愛おしくさえも思える。
『百舌』なタイムスリップを、
僕は一人で楽しんでいる。
お会計は二千二百円だった。
それも、今の僕には、ちょうどいい。
明日も頑張ろう。
鳥山真翔
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